《歴史》祖父の戦争の歴史:軍歴証明書を取り寄せて祖父の生きた証を調べる

※1年以上前の出来事を記事にしております。

プロローグ

私は元々歴史が好きで

戸籍の遡り(さかのぼり)ということを趣味にしてました。

“さかのぼり”とは、祖先代々の戸籍を役所から取り寄せて行くことです。

そこから家系図を作ったりまとめたり

戸籍で知った先祖が居た土地や建物などを

ネットで調べたり、実際に訪れることをしております。

※戸籍のさかのぼりは何れブログにします。


祖父の戦争体験

祖先の歴史を調べている中で

私が小学生の時に亡くなった

祖父の戦争体験をもっと知りたくなり

ネットで色々と調べていた所

軍歴証明書なるものがあると知りました。


軍歴証明書とは

軍歴証明書は日本国の太平洋戦争までの陸海軍の従軍記録で

発行は都道府県や厚生労働省が行なっております。

現在も発行する理由は遺族年金に関係してるためです。


軍歴証明書は

プライバシー保護の観点や遺族年金の相続にも関連するため

3親等以内の親族にのみ発行される証明書です。

孫である私は祖父の軍歴証明書を取り寄せる事ができる

ギリギリ可能な世代となります。

※申請の情報はページ下部にリンクを記載しました。


軍歴証明書の取り寄せに必要なもの

(本人の場合)ご自身の軍歴についてのご照会の場合の必要書類

  • あなた様の身元確認書類(氏名及び住所が記載されている運転免許証又は健康保険証等のコピー)
  • 開示申請する日前30日以内に作成されたあなた様の住民票

ご遺族(依頼者)の身元確認書類(氏名及び住所が記載されている運転免許証又は健康保険証等のコピー)

※今回の私の場合です。

  • ご遺族(依頼者)の身元確認書類(氏名及び住所が記載されている運転免許証又は健康保険証等のコピー)
  • 戸籍書類ご遺族関係が確認できる戸籍
    ※婚姻等による改姓が確認できるものを含む。)
    死亡年月日(戦没年月日)が確認できる戸籍(除籍)
  • 開示申請する日前30日以内に作成されたご遺族(依頼者)の住民票

軍歴証明書の到着

申請から到着まで1カ月程度掛かりました。

軍歴照会はA4サイズ2ページ程度のもの

当時は手書きだったが、送られてきたものは

ワープロで打ちなおされていました。

手書きの文字が判読不能や、一部ワープロで文字起こしできない部分もあるとの注釈がありました。


小さいころ祖父から聞いた話で覚えているのは

徴兵されフィリピンに行った

爆撃機の爆撃手だった

本当この2つ位でした。

もっと聞いたかもしれないけど

幼すぎて覚えていません。

まだ日本の戦争や歴史を学校で習う前のことで

聞いた話も上の空だったのかもしれない。


ここからはもう少し物心ついてからの話

祖父は戦後、何度もフィリピンの遺骨収集団に加わり

その時のフィリピンの写真をよく見せてくれました

もの凄い数のガイコツの写真でした。

かなりインパクトの強い写真だったので

これは鮮明に覚えてます。


祖父の部屋には爆撃機の写真も飾ってました。

飛行機の名前は覚えてませんが

爆撃機は撃ち落され祖父1人だけ生き残ったと

武勇伝も聞いたことがあります。

そういった話の中で

この歳になるまで祖父の話は殆ど信じていた訳ですが

今回軍歴証明書と照らし合わしたら

殆ど内容が違っておりました。(笑ったら怒られそうだけど)

ただし、聞かされていた内容よりも

実際の方が悲惨だったのではないかという内容でした。


内容はざっとこんな感じです。

1.

昭和18年 27歳で徴兵される

旭川出発

東安省密山県馬家子着 歩兵第32連隊

86飛行場大隊 に転属

爆撃要員教育のため綏化第3臨時教育飛行隊

北安省綏化県綏化 第71飛行場大隊


2.

昭和19年5月 教育飛行隊で爆撃手の教育を受けるため

移動し飛行場大隊に転属


3.

昭和20年6月 一度大坂府佐野飛行場(現在の泉佐野)に戻る

また別の飛行場大隊に転属し満州へ

吉林省敦化で終戦、武装解除

ソ連収容所へ入る


内容を調べる

簡単ですが調べた内容です。

1.

綏化は(すいか)と言う呼び方です。

中華人民共和国黒竜江省の地方都市です。

記載のある、一時配属された歩兵第32連隊だが

1939年に本連隊の徴募区が山形県から北海道に変更されているため

本連隊のほとんどは北海道から徴兵されいてたと思われる。

この連隊は満州のあと、フィリピン、そして沖縄と激戦地を移動

祖父がフィリピンまで行って遺骨収集団に参加していたのも

ここに関係があるのかもしれないと思いました。


2.

爆撃手の話は本当だったようです。(おじいちゃん疑ってすまん)

また、ここで飛行場大隊に転属したことが

その後の生存に関係する大きな出来事だったと思われます。

飛行場大隊とは飛行機、飛行場の整備が主な任務であり

植民地(満州)配属と言えども、基地配属(バックヤード的な業務)のため

最前線で命を懸けて戦うのではなかったということ。

この後ソ連に拘束されるまで比較的安全な場所で

居られたのではないかと思われます。


3.

武装解除した場所が敦化(とんか)という場所

北満州にある都市です。

調べていく中で敦化事件が起こった有名な場所ということも知りました

敦化事件とは終戦後武装解除後に市街にソ連兵が侵入

日本人女性は暴行を受け、百人近い女性が自決した事件

そして、ソ連収容所とはシベリア収容所のことだ

祖父は昭和20年8月から昭和21年12月に帰還するまでの

1年4カ月シベリアで過ごしたようだ

シベリアの強制収容所で多くの人が亡くなっているということは

日本国民であればだれもが知っている話で

私の祖父もここにいたのかと思うと感慨深いものがある。

祖父からシベリアの話をまったく聞かなかったのは

辛すぎて話したくなかったのかなとも思った。


軍歴証明書以外の調査

これら軍歴を知った後で

まだまだ知りたいこと、調べたいことが増えたが

戦争関連の書籍に関しては絶版も多く

ネットではわからないことも多いため

国立国会図書館へ行ったり

九段下の昭和館や、しょうけい館(戦傷病者史料館)などの博物館に行き調べてみた

そしてシベリアのこと、引き上げ船のことなどいろいろな事を知ることができた。


国立国会図書館へ

国立国会図書館では全国の戦友会や部隊ごとの戦友会が発行している資料を見ることができる

しかし戦後75年経ち、現在その殆どの戦友会が活動を停止しているため

かなり貴重な戦争資料となっている


あとがき

祖父に関しては、生き残って帰国したことで

その後の人生で多少は生きずらいこともあったと思う。

ただ戦後の生まれの叔父や叔母もいるため

生き残らなければ私の親戚筋は生まれなかった人もいたし

実家の商売も立ちいかなくなり、現在の私も居なかったかもしれない

本当に生きて帰ってきて良かったとしみじみと思う。

祖父が亡くなってもう40年近く経つが

次に墓参り行く時には本当にお疲れ様でしたと改めて伝えたい。


リンク

参考サイト

厚労省:旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の申請について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000093051.html

陸軍は各都道府県に申請することになりますが

その殆どにホームページが用意されており

そこから申請の方法、申請書ダウンロードが可能です。


国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/

昭和館
https://www.showakan.go.jp/https://www.showakan.go.jp/

しょうけい館(戦傷病者史料館)
https://www.shokeikan.go.jp/

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