《レトロ建築めぐり》広島 被ばく建築訪問 その1

出張で初めて訪れた広島。

元々古い建物を見るのが好きだったので

休みの日に被爆建造物を見て歩くことにした。

数万人を殺し、広島という町を一瞬で破壊した原爆でも

壊れなかった建物が多く存在する。

まずは広島城(廣島城 別名鯉城)

2014031608

爆心地から数百メートルのところにあり

戦時中は軍の司令部があったため

原爆の標的にされたという話もある

百名城スタンプを押す。

被爆した植物

2014031607

近くに原爆が落ちても生き続けた

80年経った今も生命の尊さをまざまざと見せつけている。

死神でも世界の破壊者でも壊せなかったものは

やはり生命なのである。

原爆ドームへ

2014031601

原爆ドームから橋を渡るとレストハウスという名称の建物がある

2014031602

戦時中は燃料会館という名称

現在1階は観光案内所と休憩所となっている。

爆心地から170メートルという近さの

この建物には地下室があり、

ここで奇跡的に1人だけ生き残った方が居る

この方は1982年まで生きたという。

地上階も修復はしているがほぼ当時のまま

しかし地下室だけは修復もせず当時のまま保存されており

1階の観光案内所に見学の申し出をすれば見ることができます。

地下室が見学できるという情報はネットで見つけていたが(Wikipedia)

見学は特別な日だけなのかと思ったが

念のため1階の観光案内所で聞いてみたところ

観光案内所の女性は「見学者はめったに来ないんですよ。めずらしいですね」と言ってました。

ここで少し嫌な予感がしたのですが

建物裏まで案内され、先ほど閉ざされていた扉のカギを開け中へ通されました

左手には2階3階へ通じる階段

奥にはヘルメットが重ねられています。

2014031603

地下での注意事項を聞きました。

もちろん地下でも説明してくれるんだろうと思ってましたが

係りの人は一言・・・。

「じゃあここからはお一人でどうぞ」

やっぱり!!やっぱりそうだよね!

地下の密室で男女が1人ずつ・・・。

んなわけないと思ってました。

さっき言ってたもんね。あまり人が来ないって!!

来るわけないよ。めちゃ怖いもん。

ビビりだした途端、

「終わったら先ほどの案内書まで来てください」と事務的な言葉だけ残して

係員さんさっさと退散。

地下室の扉をあけると

2014031604

もうすごい。ヤバイ。

2014031605

水道管だかガス管だかもうグチャグチャ、

なかなか足が進まない

1人でコンクリートが朽ち果てた階段を下りる。

階段下りて左に地下室、

地下室の右手は立ち入り禁止

もうこっちもグチャグチャボロボロ!

2014031606

俺の精神も崩壊寸前。

奥にあるのは人形に見えるけど

水道管か何かに千羽鶴とか掛けてあるだけ

人形に見えた時、歩みを止めてしばらく画像解析してました。

問題ないようだったので近づくことができました。

そのあとはもうただひたすらお祈りしました。

けどがんばって写真撮りました。

階段を上がったころにはもうすっかり平和主義者へ変貌。
川を挟んで見える原爆ドームがやけにきれいに見えました。

修学旅行で見るのはこっちの地下室だよ。

今まで建物保存してくれてありがとう。

地下室はボロボロだったけど

原爆落ちた時は町全体が同じ状態だったんだね。

みなさんも広島いったらぜひ行ってみて下さい。

修学旅行の時、沖縄のひめゆり隊が逃げ込んだ洞窟(ガラビ壕)に行ったことがあるけど

あれも普通修学旅行では行かない。

けどやっぱりこういう所は足を運んで見とくべき。

ただの写真や説明書きではわからないことが一瞬でわかる。これが体験ってもんなんだ。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA