今日はこどもの日でしたが
なぜだか自分だけの日として1日だけ自由な時間をいただきました。
こんな時はドヤ街でしょう。やっぱり
ずっと昔にも調査しに行ったことのある
吉原、山谷、南千住へ再び行ってきました。
※注意 調査とはソープランドへ行ったわけではありません。
今日は速めに家の出たので
余裕ぶっこいて上野から歩いてみました。
吉原到着。
下の地図を参考に解説させていただきます。
地図の青い囲みは現在の大体の吉原
江戸時代には高い塀があり、さらに堀まであって
逃げられないようになってたそうです。
南側(裏側)から突入しました。
※一番下の丸囲みから始まります。
近辺の道はほぼ碁盤の目となってますが
見ての通り不自然に曲がりくねった道となっております。
江戸時代の吉原にはこちら側に出入り口は無かったので
理由は分かりませんが
塀や堀を取っ払った後で
それまでなかった道路を作り
既存の道路と無理やりくっつけた感じがします。
端には区立の病院や保育所があります。
そして吉原神社
こちらの神社には暗い雰囲気はありません。プラス志向な建物です。
こちらが吉原大門です。
吉原という地名はありませんが
交差点名として吉原大門が残っております。
こちらも不自然に曲がりくねった道となっております。
古地図で見てもやっぱり曲がってます。
吉原大門を外界から直接見られないようにするための
遮断する意味も含めてたのでしょうか
右側には数々の争いを収めてきた交番があります。
吉原大門の入り口付近にある「見返り柳」
遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ
この柳の辺りで遊郭を振り返ってしんみりとしたところから
この名がついたという
またここから目と鼻の先に警視庁第六方面本部があります。
やっぱり治安維持が目的なのでしょうか
また東西方面から吉原に入る場合は
通常の道より地面が一段高くなっているのに気づく
これは昔のお堀と塀があった名残らしい。
こんなところにも江戸時代から変わらない吉原の歴史が感じられます。
地図には載ってませんが
浄閑寺 別名投げ込み寺
吉原の遊女が死んだときに投げ込まれたというお寺。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と川柳で詠まれたほどである。
うーん。さすがにここの墓には近寄れませんでした。
ちょっと重たい感じです。