《レトロ建築めぐり》広島 被ばく建築訪問 その2

被爆建造物めぐり

次は 旧日本銀行広島支店

爆心地から380m

 

目の前を市電が行き交う

撮り鉄には最高の場所

この写真を取っているのは歩道橋の上

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日本銀行の建物は堅牢性はあったものの

吹き抜けの天井から熱風が入り

こちらでも多くの人が亡くなった。

経済の中心ということもあり原爆投下から2日後には

業務を再開したという。

 

以前窓口だった1階ホールでは

学生さんたちがアート制作

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1992年まで業務を行っていたため

行内はきれいでところどころに営業の看板などが掛けられている

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地下には巨大な金庫室

ここも一人であるくには結構薄気味悪い。

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次は袋町小学校

爆心地から460m

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2000年に新しい校舎に建て替えたため

被爆した校舎は一部を平和資料館として残しました。

残念ながら内部は写真が撮れませんが

ここは写真ではなく

実際に行って記憶に留めておくことをお勧めいたします。

 

原爆投下された時は

生徒教員160名ほどが朝礼の為校庭に出ていたところで被爆

地下にある下駄箱から遅れて校庭に出ようとした生徒1人だけが

助かったそうです。

 

校舎の保存のため漆喰の壁をはがしたところ

安否確認のため記した文字が壁の中から

数十年ぶりに発見され現在見ることができます。

壁、階段、すべてが当時のまま

8時15分で止まった時計

遺品の品々。

 

当時のままの階段を上がると

そこには全国から寄せられた千羽鶴や祈りの品々があり

何かこみ上げるものがあります。

同じくらいの年齢の子供を持つ親として

この建物の記憶は一生忘れないと思います。

 

次は本川小学校へ

爆心地から410m

こちらは学校敷地内に資料館があるため

日曜日はお休みです。

はだしのゲンに出てくる小学校としても有名です。

 

残念ですが外から写真だけ撮りました。

またいつか訪問したいですね。

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